米配給会社 KINO INTERNATIONAL

5月21日の朝、KINO INTERNATIONALの友人ブライアンから、社長のドナルド・クリム氏が亡くなったとのメールが届いた。4月末にブライアンから久々のメールをもらい、ドンがこの数年間、癌に冒され闘病生活をしていたこと、彼の体調が急激に悪化しており、医者にはあと4週間の命であると通告されていたことを知らされてから、3週間ほど経っていた。享年65歳。

KINO INTERNATIONAL(現KINO LORBER)はニューヨークを基点とする中小規模のサイズでは一番の大手で歴史の長い(1977年設立)映画配給会社である。僕は1997年にニューヨーク大学を卒業したあと、最初の1年はインターンとして、それ以後4年間半は正社員としてこの会社に勤務した。インターンから正社員へとなったきっかけも、自分の真面目な勤務態度に一目おいてくれたドンが、オファーしてくれたのがきっかけだった。

老舗の映画配給会社として、チャップリン作品や、フリッツ・ラング監督の名作『メトロポリス』などの無声映画、ウォン・カーワイ監督『天使の涙』、エレム・クリモフ監督『炎628』など、数々のワールドシネマの傑作群をアメリカで配給している会社として、KINO INTERNATIONALは、映画ファンなら誰でも聞いた事がある名前だった。

当時、週7日でバイト3つをかけもちしていた僕は、ドンのオファーに胸を踊らせたのをよく覚えている。タイムズスクエアのバスターミナル裏にあり、当時はいかがわしい雰囲気だった39丁目のオフィスに毎日通った日々が懐かしい。商業的な成功はとても見込めないような作品でも、その芸術性を評価し、数々の傑作を映画ファンに届け、小さな会社を慎ましく誇りを持って経営していたドンを、僕はとても尊敬していた。人間としても、彼は常にフェアーで、ユダヤ人としてのアイデンティティをしっかりと持った人だった。養子にした2人のコロンビア人の子供達にとっては(もうすっかり成長したことだろう)、きっといい父親だったに違いない。

今から思うと、ドンは、まだ若かった僕に対して大人としての敬意を持って向き合ってくれた数少ない人物だった。会社に勤務しながら自費で監督/製作した短編作品が上映される機会があれば、「映画はビッグスクリーンが理想だから」と言って忙しくても必ず会場に顔を出して感想を教えてくれたし、短編作品が映画祭に参加することになったときも、経費を会社で負担するかわりに、配給できそうな作品を映画祭でみかけたら教えてくれと言ってくれたこともあった。週末バイトで働いていた日本レストランに、夫婦で姿を現して応援してくれたこともある。そしていつも僕の日本の両親のことを気遣ってくれた。

ドンは、僕がいつか会社を辞めて、映画制作への道を進んで行くことを承知だったが、何度か引き止めようとしたこともあった。それだけ僕を評価してくれていた事実は、きっといま自分の中にある自信を培ってくれたに違いない。2004年の春、会社を辞める決断を知らせたときも、ドンは寛大な処置をとってくれた。

それ以来、メールでクリスマスの挨拶をやりとりしたり、僕が通訳として参加した映画祭で偶然出会ったり、ドンとは度々接触があった。会社の友人を通じて、ドンや会社のことを色々耳に挟むことも多かった。ドンは、会う度に製作活動はどうだと聞いてくれたが、プロデューサーが辞めたり、資金が集まらず企画が頓挫したりで、なかなかいい返事を返すことができなかった。今年の1月、ヴェスヴィアスの設立パーティの案内をメールで送った時も、僕の両親の様子を聞く一行と祝福の返事がすぐに返ってきた。それに対して「もうすぐしたら、長編作品を背負ってキノのドアをノックすることができると思います」と書くと、「いつでもドアは開いているよ」と返してくれた。このとき、彼の病気はすでに非常に深刻な状態であったに違いなかった。

ブライアンに聞くと、ドンは、今年に入ってからしか自分の病状を社員に知らせなかったらしい。周りを心配させたくなかったに違いない。ブライアンを含む社員みんなが、あまりにも突然のことでびっくりしてる様子だった。4月末、ドンの容態を知らせるブライアンのメールを見た時、はっと息を飲んだ。ニューヨークに行くことも何度か考えたが、再び自費で製作しようとしている長編があるので断念した。限られた時間だけが過ぎ去り、ドンは亡くなった。

僕は6月に撮影予定の初長編作品をドンに捧げようと思っている。そして、彼が長年の努力と固い意志で築き上げたKINO INTERNATIONALで、全米配給を考慮してもらえるぐらいの、いい作品に必ず仕上げたいと思っている。それが自分にとって彼のためにできる最大の供養であり、彼が僕に託してくれた信頼と評価に応えることだとも。

 

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About 山本 兵衛

米マサチューセッツ州の高校を卒業後、ニューヨーク大学Tisch School of the Artsにて映画製作を学ぶ。卒業作品『A Glance Apart』がニューヨークエキスポ短編映画祭にて最優秀フィクション賞を受賞。またフランスの国営チャンネル Arte、日本ではシネフィルイマジカにて放映。アメリカの配給会社 Kino Internationalにて4年間マネージャーを務めた後、ハリウッド大作『シャンハイ』などに現場通訳として参加しながら、監督/プロデューサー/脚本家として活動。自身の短編作品が、ロッテルダム国際映画祭やトライベッカ映画祭などで上映されている。ドキュメンタリー『サムライと愚か者〜オリンパス事件の全貌』で長編デビュー。青山学院大学にて非常勤講師を務める。

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