いま聞くべき言葉 byノーム・チョムスキー

ノーム・チョムスキーをご存じだろうか? それはロシアのスパイでもなく、韓国製の製品名でもない。21世紀を代表する知識人として、アメリカの政治、歴史、社会について様々な論文を発表し続け、近年になって高く再評価されているマサチューセッツ工科大学名誉教授がノームチョムスキーだ。今年で89歳を迎えるチョムスキーは言語学者でもあり、いまだにエネルギッシュに活動を続けていて、2年前にも来日して講演を行ったばかり。チョムスキーとやらは聞いたことも興味もないし、難しい論文や哲学は苦手と思われている方、騙されたと思ってネットフリックスにひっそりとアップされている「アメリカン・ドリームへのレクイエム」(2015)を観てほしい。チョムスキーにまつわるドキュメンタリーは数多くあるが、この作品は、チョムスキーが長年のキャリアを通して主張してきた、アメリカでの民主主義が如何にして格差社会を助長しているかを、チョムスキー本人独自の解釈で暴露していく衝撃のドキュメンタリーである。



わずか80分程度のコンパクトにまとめられたこの作品は、チョムスキー本人がひたすらカメラに向かって語りかけるだけのシンプルなスタイルだが、アメリカの民主主義の恐るべき実態が、<富と権力を集中させるための10の原理>という構成にそって、工夫されたグラフィックや様々なアーカイブ映像を駆使し、アメリカン・ドリームと謳われてきた民主主義は、実は上っ面だけのもので、富と権力を保持する既得権者が如何にしてコントロールしているかが、次々に暴かれていく。チョムスキーの説得力ある理論は、アメリカ史を独自の観点から捉えていて、目から鱗が落ちるほどショッキングだ。

原理1は、ずばり<民主主義の低減>。最も市民運動が活発で、度々体制側と市民が衝突した60年代以降、政府や企業は市民が権力を要求する民主主義に対して恐怖を抱き、警戒するようになった。その結果、行政や教育機関では、過剰な民主主義は抑圧されるべきであるとの認識が70年代以降色濃くなっていく。それが原理2<思想の形成>。原理3<経済の改革>では、グローバル化が進むにつれ、企業によるアウトソーシングなどで、労働者が世界レベルで厳しい競争を強いられるようになっていった事実が指摘され、経済全体が生産業から金融業にシフトするにつれ、既得権者はすでに得た富を利用して自らを護る術を手に入れ、労働者はますます不安定な雇用状況と向き合わなければならなくなるという流れが、80年代までには確固として存在するようになる。その結果、50年代黄金期に謳われたアメリカンドリームの特徴であった階級に関係なくチャンスがあるという構図は、ますます非現実的なものになっていったとチョムスキーは指摘する。そして原理4<重荷のシフト>では、60年代まではアメリカでの法人税が、いまよりも遥かに高かったことを指摘し、大企業と政府の関係が密になるにつれ、企業は法人税の低減を訴え、政府が市民に対して税金をあげていく構図が指摘される。リーマンショック後、もともとの元凶であった大手の金融会社が政府援助を受けたことを考えれば、これは確かに頷ける。



アメリカ社会の仕組みが悪夢の連鎖のように見えてくるのと同時に、日本の民主主義との共通点も多いことに気付かされる。憲法改正で盛り上がった市民運動に動揺して、強行採決に踏み切った安倍政権は少なからずとも原理1<民主主義の低減>を念頭に置いていたに違いない。原理4<重荷のシフト>は、消費税引き上げで揺れる日本での状況に似ている。社会の重荷から企業は免れ、一般市民が全体責任を一手に負わされるという問題で、結局護られているのは企業を経営する既得権者であり、大企業に癒着する政治家たちだ。

さらに日本との共通点が決定的になるのは原理9<合意の形成>だ。このチャプターでは、豊かさの幻影を与える消費社会を創り出すことで、市民を民主主義の参加者ではなく傍観者としてコントロールできる理論が展開され、広告会社が社会的に大きな役割を果たすようになった70年代を例にあげ、メディアによる市民の洗脳と消費社会が同時に急速に発展したことにより、市民の政治的意識が希薄になり、アメリカ社会が本来の民主主義からかけ離れていった事実が証明される。オバマ大統領でさえ、就任当時はベストキャンペーンとして賞を受賞する時代。すべてはイリュージョン(→見せかけ)でしかないのか? 安価のコピー品ばかりが並ぶ100円ショップが溢れかえる日本社会でも、消費による洗脳が強力な磁力となっているのは間違いない。チョムスキーは、消費社会では<不合理な選択をする十分な知識を持たない消費者の創出が目的>と指摘するが、メディアへの介入などで批判にさらされていたはずの安倍政権率いる自民党が、参議院選挙で圧勝するのも、まさにチョムスキーが指摘する点と重なる。 

そして最後のチャプター原理10<市民の軽視>では、本来ならば参加者であるはずの民主主義に一切影響を与えることができなくなった市民に残された選択肢は、弱者への責任転嫁であると指摘される。そこで産み出されるのは暴力と憎悪。アメリカでは黒人差別がより深刻化しており、世界でも移民差別や宗教の違いによる暴力事件が多発している。日本でもヘイトスピーチやマイノリティに対する迫害や偏見であふれている。

そんな状況の中で未来に希望はあるのか? 映画のラストで、チョムスキーは自らの経験を踏まえて希望はあると断言している。もちろんそうであると信じたいが、市民全体が傍観者から参加者になる必要がある。そんな意識を育むために、いまフィルムメーカーはどういうテーマに取り組み、何を映し出すべきなのか? それが問われるべき時代になってきているのは言うまでもない。

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About 山本 兵衛

米マサチューセッツ州の高校を卒業後、ニューヨーク大学Tisch School of the Artsにて映画製作を学ぶ。卒業作品『A Glance Apart』がニューヨークエキスポ短編映画祭にて最優秀フィクション賞を受賞。またフランスの国営チャンネル Arte、日本ではシネフィルイマジカにて放映。アメリカの配給会社 Kino Internationalにて4年間マネージャーを務めた後、ハリウッド大作『シャンハイ』などに現場通訳として参加しながら、監督/プロデューサー/脚本家として活動。自身の短編作品が、ロッテルダム国際映画祭やトライベッカ映画祭などで上映されている。ドキュメンタリー『サムライと愚か者〜オリンパス事件の全貌』で長編デビュー。青山学院大学にて非常勤講師を務める。

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